
器が焼き上がったのは、
春の夕方だった。
窯の火はすでに落ち、
赤い余熱だけが静かに残っている。
木灰釉は、
淡い緑とも灰ともつかない色に溶け、
ところどころに小さな粒が光っていた。
その釉薬は、
もう作れる人がほとんどいない。
木を燃やし、
灰を分け、
何度も水に沈めてアクを抜き、
乾かし、砕き、
ようやく釉薬になる。
「時間がかかりすぎる」
「効率が悪い」
そう言われて、
多くの窯元が手放していった技術だった。
けれど、
彼女はその不便さの中に、
火と植物の記憶が宿っていることを知っていた。
器をそっと取り出すと、
まだ温かかった。
まるで、
火の記憶が器の中に残っているようだった。
「ここからが、もうひとつの火の仕事だね。」
彼女は灯炉に火を入れた。
あめ色の灯炉の中で、
小さな炎がふっと立ち上がる。
その光は、
窯の火とはまったく違う温度を持っていた。
器を灯炉のそばに置くと、
釉薬の表面がゆっくりと変わり始めた。
光が当たる角度で、
緑が深くなったり、
灰が柔らかくなったりする。
「この表情、
工業釉薬では出ないんだよね。」
彼女は小さく呟いた。
灯炉の火は、
釉薬の奥に沈んだ灰の粒を照らし出し、
そこに隠れていた表情を浮かび上がらせていく。
窯の火が“形”をつくり、
灯炉の火が“意味”を照らす。
二つの火が揃って、
ようやく器は完成するのだと、
彼女はそのとき初めて気づいた。
器の表面に、
小さな光の揺らぎが走った。
まるで、
燃えた木々の記憶が
もう一度だけ息をしたように。
「失われていく技術を、
火が覚えていてくれる。」
彼女は微笑んだ。
灯炉の火が静かに揺れ、
釉薬の色がまたひとつ変わった。
二つ目の火が、
消えかけた技術の記憶を そっと照らし続けている。