「氷砂の朝」

冬の朝。
家の中はまだ暗く、 外の雪が窓を白く照らしていた。

彼は、 古いすりガラスに手を触れた。
指先が冷たい。

「氷砂(ひょうさ)」

もう作られていない、昭和のガラスだ。

表面には細かな粒が散っていて、
まるで凍った息がそのまま固まったようだった。

台所の隅に、 あめ色の灯炉が置かれている。
掌に乗るほどの器。
火を入れると、 湯気が静かに立ち上がった。

その湯気が、 氷砂のガラスに淡く触れる。
一瞬だけ、模様が溶けるように見えた。

彼は思い出す。
祖父がこのガラス越しに、 外の雪を眺めていたことを。

言葉は少なかった。
けれど、 湯気の向こうに見える背中は、 いつも穏やかだった。

「このガラス、もう作られていないんだ。」

そう呟くと、 胸の奥が静かに痛んだ。

失われたのは、 ガラスだけじゃない。

あの頃の時間の流れ、
朝の匂い、
湯気の温度、
沈黙のやさしさ。

全部が、氷砂の模様の中に閉じ込められていた。

灯炉の火が揺れる。
湯気がガラスに触れて、 模様が一瞬だけ曇る。

その曇りの中に、 祖父の影が見えた気がした。 

人が見失ったものは、  いつも火のそばで思い出される。