
昔、ある現場の片隅に、
水を含んだ灰色の塊があった。
それは、セメントと砂と水が混ざり合って生まれた、
モルタルという素材だった。
モルタルは、まだ柔らかく、
形もなく、
ただそこに在るだけだった。
けれど、モルタルは知っていた。
「私は、誰かの手に触れられるまで、
まだ何者でもない。」
ある日、職人がやってきて、
コテを手に取り、
モルタルをすくい、壁に塗った。
その手は、迷いなく、
けれど優しく、
モルタルを撫でるように広げていった。
モルタルは思った。
「私は、手の記憶を受け取っている。」
別の職人は、
モルタルでレンガをつなぎ、
隙間を埋め、
建物の骨格をつくった。
モルタルは思った。
「私は、つながりの記憶になった。」
さらに別の人は、
古い壁のひび割れに、
モルタルをそっと塗り込んだ。
その手は、
まるで誰かの傷を癒すように、
静かに、丁寧に、動いていた。
モルタルは思った。
「私は、癒しの記憶になった。」
撫でられ、
押し込まれ、
広げられ、
整えられた。
モルタルは、
手の記憶を受け取ることで、形になった。
そして、固まったあとも、
その手の動きは、
表面に残っていた。
モルタルは悟った。
「人は私を接着剤と呼ぶ。
けれど私は、手の記憶を刻む素材だ。」