
街は混んでいた。
人の声が重なり、
足音が波のように押し寄せ、
世界が少しだけ急ぎすぎているように見えた。
男はその雑踏の真ん中で立ち止まり、
胸の奥でひとつ、静かに息を吸った。
その瞬間、
足元にだけ、
小さな“空席”のような余白が生まれた。
誰も気づかないほどの、
ほんのわずかな静けさ。
猫がどこからともなく現れ、
男の足元に寄り添うように座った。
雑踏の音を聞きながら、
耳だけをわずかに動かしている。
男は猫に語りかけるように呟いた。
「友よ、混雑は心を押し流すように見えるが、
その中にも、必ず座れる席がある。
それは、外側に立つ者だけが見つけられる席だ」
雑踏は相変わらず騒がしい。
だが男の周りだけは、
まるで別の時間が流れているように静かだった。
猫は目を細め、
その静けさを味わうように喉を鳴らした。
男が歩き出すと、
雑踏は彼を押し流すことなく、
むしろ道を開くように流れを変えた。
その変化に、男はふと気づく。
「席は、探すものではなく、
静かにしていると、向こうから寄ってくるのだな」
そして雑踏の中を、
ひとつの“静かな席”だけが
ゆっくりと移動していった。